これはスタエフの文字起こしをブログ化したものです
卒業アルバムというテーマについては、これまでもブログで何度か取り上げてきました。物価高騰による制作費の問題や、デジタル化の波など、その在り方は常に変化にさらされています。僕自身、卒業の証明としてNFTを活用するのはどうか、なんて提案をしたこともあります。NFTであれば、所有者が明確になり、安易に売買されるリスクも防げる。卒業生だけがアクセスできるパスのような使い方も面白いのではないか、と考えていました。
新たな脅威「ディープフェイク」と個人情報のリスク
しかし今、卒業アルバムは全く新しい、そしてより深刻な脅威に直面しています。それが、AI技術を使った「ディープフェイク」による画像の悪用です。卒業アルバムに載っている顔写真を無断で使い、わいせつな画像や動画に加工されるといった事件が、日本だけでなく世界中で問題になっています。
これまでも個人情報流出のリスクは議論されてきましたが、それはアルバムのデータが外部に漏洩し、悪意のある第三者に渡る、というケースが主でした。しかしディープフェイクの問題は、同じクラスメイトの中に悪意を持つ者がいれば、誰でも簡単に犯罪に手を染められてしまうという、より身近で根深い恐怖をはらんでいます。
こうなってくると、「学校が公式に発行する」という卒業アルバムの存在意義そのものが問われかねません。もちろん、SNSに投稿された友人の写真を勝手に使えば同じことができてしまうので、アルバムだけを規制しても意味がない、という意見もあるでしょう。ネット上に顔写真を載せること自体がリスクだと言われれば、その通りです。
しかし、個人間のやり取りは「自己責任」で片付けられてしまうかもしれませんが、学校が公式に発行した印刷物が犯罪に使われるとなれば話は別です。「そもそも、そんなリスクのあるものを公式に作ること自体どうなのか」という声が上がるのは、当然の流れだと思います。
「残したい」という声と、進化するリスクの板挟み
一方で、産経新聞の記事によると、8割以上の人が「卒業アルバムをちゃんと残してほしい」と回答しているそうです。アルバムという存在そのものへの否定的な声は、実はそこまで多くありません。思い出を形として残したいという気持ちと、日に日に高まるリスクとの間で、学校現場は難しい判断を迫られていることでしょう。
僕が学生だった頃を思い返すと、個人情報の扱いは今とは比べ物にならないほど緩やかでした。僕が通っていたのは、いわゆる有名人のお子さんも多く在籍する学校だったのですが、卒業アルバムには普通に住所や電話番号、親の名前まで載っていました。本名で活動されている芸能人の方の名前と住所がそのまま掲載されているのを見て、子供心に「これ、大丈夫なのかな?」と思った記憶があります。今の感覚では到底考えられないことですが、当時はそれが当たり前でした。
住所録が廃止され、個人情報の保護が叫ばれるようになったように、時代の変化と共に「当たり前」は変わっていきます。その波が、いよいよ卒業アルバムにまで及んできているのです。
技術で防ぐのは限界、どう向き合っていくべきか
では、どうすればいいのか。アルバムをデジタル化し、スクリーンショットを防止する機能を付ければいい、という意見もあるかもしれません。しかし、それなら画面を直接カメラで撮影すればいい、という話になってしまいます。結局、技術だけで悪意を防ぐのには限界があるのです。これはもはや、モラルの問題です。
卒業アルバムがなくなってしまうのは、一人の卒業生として、やはり寂しい気持ちがします。友人とアルバムを見ながら「ああでもない、こうでもない」と語り合った経験は、誰にとっても大切な思い出のはずです。
この問題に、絶対的な正解はないのかもしれません。しかし、ディープフェイクという新たなリスクが生まれた今、私たちは卒業アルバムという文化と、そして「思い出の残し方」そのものについて、改めて真剣に考え直す時期に来ているのだと思います。