ネットでたびたび話題になることですが、テレビの街頭インタビューで定期的に同じ人がしゃべっている、という話があります。
顔を出してインタビューを受けるわけで、これは紛れもない事実です。
たしかにその人がいつも新橋とか渋谷とか、街頭インタビューをする場所によくいる人だからかもしれません。
しかし、街頭インタビューはヤラセではないかという話もあります。
印象操作はたやすい
以前、これは韓国で日本についての話を街頭インタビューで聞くというものがあり、若い方がしゃべっていた内容と字幕が全然違うものであった、という話がありました。
どんなだったかなと思って検索したらでてきました。
池上彰氏の番組で韓国人のコメント捏造か 「日本嫌いですよ」実際は何と言った?
テレビ局が韓国人は日本人を嫌っているという方向へ印象操作をするためにこのような字幕を付けたのではないか、という話です。
日本での街頭インタビューも、定期的に同じ人が出てくるのであれば、最初からセリフが決まっていて、街中の人の意見を世論として操作しているのではないかという疑念もあります。
本当であれば、世論がどうこう思うというより、自分がどう思うかも大切なんですが、世論の考え方と自分の考え方が違うと自分が違ってるのかなと思うようにもなりますし、そもそも考えることを放棄していて、周りがそうならそれでいいんじゃないの、と思うようにもなります。
メディアは、自分で考えさせることをさせないような形で緩やかに印象操作をすることができます。しかしこれはテレビ局が悪いとかそういう話ではありません。
メディアというのはそういう機能を持っています。新聞もテレビもそうだし、このアヤノ.メだってそうです。
SNSや掲示板もそうで、大勢の人が賛同すると、そうだそうだ、となります。ああいうのも、ずっと見ていると自然と無意識のままに印象操作をされてしまうものです。
実は街頭インタビューがヤラセである必要はない
さて街頭インタビューの話ですが、これは必ずしもヤラセである必要もないのです。
たくさんの人にインタビューをとるものの、それのどこを流すかはテレビ局次第ですよね。
そのため、テレビ局が流したいと思う意見をたまたま言った人を流せば、それで印象操作ができるということです。
こういう言い方をするとテレビ局が悪者みたいに聞こえるかもしれませんが、そういう話ではありません。
これがメディアの特性です。
ちなみにネットのメディアなんてまさにそうです。まとめサイトとかね。
SNSで同じ意見を持っている人の投稿をたくさん検索して掲載して、そういう報道があればそれも掲載してまとめれば、パッと見た感じ、それがマジョリティだ!という印象になります。
どんな少数派の意見でもそれを世論にできます。
報道って、ニュートラルであることは大事ですが、実はニュートラルな状態っていうのは難しいんですよね。人が作るものですからね。
報道自体がニュートラルというか、報道によって社会がニュートラルになることが理想ですね。
ちなみに彩雨さんは一度も街頭インタビューを受けたことはありません。一度くらい受けてみたいものです。