これはニュース読み配信の文字起こしをブログ化したものです
中国で、日本の「地下アイドル」のような文化がブームになっているという記事を読みました。興味深いのは、衣装や日本語の歌といった表面的なスタイルだけでなく、ファンとの関係性や応援の仕方も日本とよく似ているという点です。この記事では、その背景に日中共通の若者の「婚姻減」があると分析していましたが、正直なところ、僕はその見方に少し違和感を覚えました。
「結婚しないから、その代わりにアイドルにハマる」というのは、少し短絡的ではないでしょうか。結婚していてもアイドルに夢中な人はたくさんいますし、その二つを直接結びつけるのは、どうもしっくりきません。中国も日本と同様に深刻な少子化に直面しているのは事実ですが、それがイコールで推し活の動機になっているのかどうか。
「会いに行ける」が変えた、アイドルとファンの関係性
記事では、秋元康さんがプロデュースした「会いに行けるアイドル」というコンセプトが、現代のアイドル文化の原型を作ったと指摘しています。これは間違いなくその通りでしょう。それまでの「1対多数」だったアイドルとファンの関係を、握手会などを通じて「1対1」に変えた。これにより、ファンは「アイドルに認知されている自分」という役割意識を持つようになりました。
この「1対1」の関係性が、推し活の熱量を高めているのは確かだと思います。僕が身を置くヴィジュアル系の世界も、まさに「会いに行ける」文化ですし、このビジネスモデルがここ十数年で確立されたものであることは間違いありません。
推し活は「疑似恋愛」でも「疑似子育て」でもないのでは?
では、ファンはアイドルに何を求めているのでしょうか。記事では「疑似恋愛ではない」「むしろ疑似子育てに近い」と考察されていました。「自分の応援でアイドルが成長し、成功していく姿を見るのが喜びだ」という感覚ですね。だから、アイドルが結婚しても「おめでとう」と言えるのだ、と。
この「疑似子育て」という側面は、確かにあるかもしれません。特に、まだ小さなライブハウスで活動しているようなアイドルを応援する場合、皆で支えて大きな舞台へ押し上げていく、という感覚は強いでしょう。自分のことのように、彼ら・彼女らが大きなステージに立つのが嬉しい、という気持ちはよく分かります。
しかし、これもまた、推し活をしている人すべてに当てはまるかというと、疑問です。僕の周りにも様々なジャンルのオタクがいますが、彼ら彼女らの話を聞いていると、もっとシンプルな動機なのではないかと感じます。
「恋愛や結婚をスルーして、生きがいを求めるためにアイドルを応援している」という見方も、僕にはしっくりきません。もちろん、そういう側面を持つ人もいるかもしれませんが、それが全てではないはずです。これはこれ、それはそれ、と切り分けている人が大半ではないでしょうか。
僕が思う推し活の本質は、もっと単純に「元気をもらっている」ということなのではないかと。推しが今日もステージでキラキラ輝いて、ニコニコして元気いっぱいにパフォーマンスしている。その姿を見るだけで、自分も明日からまた頑張ろうと思える。つまらなそうにしていたり、苦しそうな顔をしていたりすれば「どうしたんだろう」と心配になるけれど、彼らが輝いていれば「さすがだな」「今日も最強だったな」と満足して帰路につく。結局は、その繰り返しなのではないでしょうか。
記事の最後には「その派生が政治の地下アイドル的推し活なのでは」という一文がありましたが、これも少し違うように感じます。確かに似ている部分はあるかもしれませんが、僕が日々味わっている推し活の感覚とは、やはり本質的に異なるものです。
中国の推し活文化について深く知っているわけではないので断定はできませんが、複雑な社会背景と結びつけて分析するよりも、ファンがアイドルに求める純粋な「輝き」や「元気」といった部分に、その本質があるのではないかと、僕は思うのです。