QUESTIONより
「幸せ」ってなんですか?
ちょうど関連するQUESTIONが別タイミングで来ていたので、前回の記事とつなげて関連させて書きますね。
前回はアリストテレスの言葉も引用しつつ、生きる目的とは幸せの追求であるという話をしました。
ちょっと調べてみると、アリストテレス以外の哲学者も同じようなことを言っているのが面白いですね。
二つの幸せ
「幸」という字は、180度ひっくり返しても「幸」になります。
幸福と不幸はコインの裏表のようなものです。
これはどういうことでしょうか?
幸せには二つの種類があります。相対的幸福と、絶対的幸福です。
早い話が、何かと比較しての幸福か、自分の内在的に幸福を見出せるかどうかという話です。
しかし、後者の絶対的幸福というのはなかなか実感として得られにくいものです。
一般的に幸せというと、この相対的幸福が思い浮かべやすいです。特にこのSNS時代、人と何かを比べるのは簡単ですからね。
一番わかりやすいのは、例えば応援しているスポーツチームが勝てばうれしいですよね。しかしその反面、負けたチームがいます。負けたチームは悲しいと思うわけです。
相対的幸福の特徴としては、プラス方面の力に対して、なんらかの形で必ずマイナス方面の力が働くということです。
なにか優越感に浸るようなTwitterを書いて、その日とはそれで幸せに感じているかもしれませんが、逆にその人も誰かが同じようなTwitterの投稿を見た時、妬みを感じるかもしれません。相対性幸福は幸せと不幸のギブアンドテイク?なのかもしれません。
なにかがうらやましい、なにかと比較して自分は優越感とか不幸とか、そういうのはすべて相対的幸福です。SNSは自己顕示欲の塊みたいな空間ですので、意図せずともそういう見方で投稿を見られる可能性もありますし、意図せずとも自分がそういうベクトルで優越感を持ったり、劣等感を持ったりすることはあるかもしれません。
ですが、この相対的幸福を追求しようと思えば、たとえ自分が幸せと思っても誰かが不幸せに感じますし、自分自身もなにかの比較によって不幸せと感じるかもしれません。
これではどのみち、幸せにはなれそうにありませんね。
絶対的な幸福をつかむ
余談ですがこの絶対的幸福と相対的幸福の話はいろんなところにでてくる話です。すでにピンときた方もいるかもしれませんが、仏教系、とりわけ創価学会なんかでもよく登場する話です。
彩雨さんは特定の宗教団体には属していません。もしかして細かいところが各宗教団体の考え方と違うところもあるでしょうが、それに関してはこれは自分の考えということで、ツッコミ不要でお願いします。
さて、幸せとは、というのは究極かつ根源の話でもあり、多くの人に当てはまり、多くの人が悩むテーマでもあります。
では、絶対的幸福というのはどうやったらつかむことができるのでしょうか?
例えば同じ親子での会話、夫婦での会話の中で、今は幸せだなぁと思うこともあると思いますが、そういうところに絶対的幸福、つまり誰がなんと言おうとそれは幸せである、というものを感じる人もいるかと思います。
その一方で、
「うちの子は誰々ちゃんよりいい高校に入って」「うちの夫はお隣さんよりもいい会社に勤めて」
というのが根っこにあるのは相対的幸福です。
このあたりってけっこう混在しているところもあるし、混在しているのもまた人間らしさといいますか、当たり前のことなのかなと思います。
ボランティア活動を!とか寄付を!みたいな感じで勧めるのもありますけど、絶対的幸福のつかみ方というのはなんか周りがどうこう決めることでもないのかなと思います。
自己顕示欲、優越感、妬み、ひがみ、劣等感…こういったものがあるのは人間誰も仕方のないことですので、それはそれでありながら、日常の中でふと感じたものを大事にできるか、ということなのかなと思います。
彩雨さんの人生観
ということで、前回のQUESTIONにもあった彩雨さんの人生観についての話をしましょう。
そんな大それたことではありません。
「あぁ、今日も酒がうまい」
ということです。
でもこれがなかなか難しくて、精神状態をいつも健康にしていないと、美味しいお酒もまずくなってしまうものですね。
最後に、幸せをテーマにしたブログを二つ紹介しますね。