動物愛護、環境問題、伝統に文化…象牙問題を考える


現在は、象牙のものを見たり触る機会はなくなりましたね。

みなさんの家には象牙のものはありますか?大きな家の人だったら、昔のものであるかもしれませんね。

今、自分の生活で象牙を触る機会はありません。

某レコーディングスタジオにあるピアノがかなりの年代物で象牙の鍵盤だったような気がしますが、あえていうならそれくらいですね。

象牙の宝飾品はなくなる

将来的には象牙の宝飾品はなくなるでしょう。

象牙というのは、文字通り象の牙のことです。

立派な象の牙は宝飾品に加工され、昔から重宝されてきました。

印鑑であったり、楽器のパーツなどでも使われていました。

象牙は吸湿性があることから手になじみやすく、素材としても硬すぎず、柔らかすぎず、工芸用にちょうどいい素材として古くから世界中で使われ、愛用されてきました。

しかし1989年に絶滅危惧種を保護するためのワシントン条約が締結されてから、象牙は国際取引は原則禁止となっています。

象牙を取り巻く二つの論点

厳密にいうと、必ずしも各国ともに象牙の取引を禁止する法律があるわけでもありません。

EUや中国、シンガポールなどはすでに禁止にしているところもあれば、これから禁止にするという流れになっている国も多いです。

その一方で、アメリカや日本はまだ象牙のやり取りを完全に禁止する法律は定めていません。

近年は企業ごとに象牙の取り扱いに制限をかけ、通販サイトでも象牙製品を除外するといった、民間での動きが多くなっています。

当初は象の乱獲による絶滅の可能性が焦点でしたが、きちんと統計を取り持続可能な資源として象牙を利用できるのでは、という考え方もあります。また、象牙の利益により象を保護することもできる、という考え方もあるようです。

それとは別に、動物保護の観点から、生き物のパーツを宝飾品などに使うということ自体にも批判が集まっています。毛皮の問題と同じです。

現在は後者の論点のほうが大きく取り上げられますので、世界的な動きを見ますとやはり象牙の宝飾品はなくなる方向にあるのかなと思います。今でも象牙目的のために残虐な象の密猟が行われており、先進各国が象牙をきちんと禁止し正式なルートを絶たない限りはこういった行為は続くことになります。

文化とのバランス

楽器には象だけではなく、多くの動物のパーツが使われています。これは楽器に限る話ではありませんけどね。

現在はそういったものが代替品でまかなうようになっています。ぶっちゃけ、部屋に飾るものは象牙製じゃなくても問題ないですし、印鑑も象牙製じゃなくても問題ないのです。

昔は象牙製のものは高級品として欲しい、という気持ちもみなさんあったのかもしれませんが、それじゃあ今の自分が象牙製のなにかを欲しいかというと、別にいらないわけです。

ではそれが完全に代替品にすることができるかというと、それは別の話です。

例えば三味線のバチは象牙製が使われていました。技術進歩が進んでいるとはいえ、象牙製のもの、プラスチック製のもの、全く同じかというと同じではありません。

音にも違いがありますし、それはプレイにも影響があります。

象牙を禁止することにより、伝統や文化にはまったく影響がないか、という話になれば、まったく影響がないわけではありません。

それでもいいのか、という話ではありますが、その一方で動物を殺しそのパーツを使ってまで、その伝統や文化を守る必要はない!という考え方もあるでしょう。

文化や伝統というのはずっと変わらないのが正しいかというとそうではなく、歴史や考え方によって少しずつ変化する側面もあります。うまく時代に合わせながら残すというのが文化や伝統ですからね。

ただ、こういう議論は一方的に善悪をつけたがる傾向にあるのが気になります。双方の主張や気持ちをお互いが理解した上で、時代に沿う形で進めてもらいたいものです。