女子プロレスラーの木村花さんが、SNSでの誹謗中傷によるストレスで自殺に追い込まれた、というニュースは日本だけではなく世界でも報道されています。(※死因などについては執筆時では推測です)
とても悲しいニュースです。
昨日はこの件について、ネット上でも多くの意見が飛び交った1日でした。
SNSの誹謗中傷
日本でももちろん歴史上に著名人の自殺は山程事例はありますが、近年はどうかというと、SNSの誹謗中傷により自殺したという例はあまり見られませんでした。しかし、最近は芸能人の方も積極的に反論したり意見表明するようになり、海外だとこういった自殺ということもしばしばありまして、これは日本だけではなく世界が抱える社会問題となっています。
自分もこのSNSの誹謗中傷についてはアヤノ.メでもかなり多く取り扱っているテーマであり、それだけにとても残念なニュースです。
近年はこういったSNSでの誹謗中傷に対してきちんと法的措置を取る著名人も増えてきました。やたらに反論すると火に油を注ぐだけになるケースもあり、煽り耐性が〜なんていわれることも多く、黙って法的措置が一番有効というトレンドもできつつあります。昔は匿名だから言ったもんがちみたいな空気でしたが、近年はそうでもなくなっています。
ただ、法的措置といっても時間、お金と労力がかかります。お金については相手から損害賠償請求ができたとしても、赤字になる可能性もあるという情報もあり、やり損になってしまうのは残念です。
また、相手が子供であったり、大人であっても損害請求できないほどお金がないケースが多いという話も別で聞いたことがありまして、お金の請求についてはあまり期待できなさそうです。やることで、社会的意義を通すということが目的になりがちです。
このあたりは法改正によって少しずつ改善されてきています。そのうち、もう少し変わるかもしれません。
対策法は3つ
こういったSNSの誹謗中傷に対して、社会的にどうにかすべきかと模索しているところです。
一般的に議論されている対策法として3つあるので、紹介していきます。
ネット実名化
一つはネットの実名制です。
誹謗中傷を行っているアカウントの大半は顔写真や名前や所属を明らかにしていないものということで、SNS利用にこういった個人情報の記載を義務付けるというものです。
韓国ではこういった動きもあり、昨年ブログにまとめたので、興味ある人はぜひ御覧ください。効果が見込める部分もあれど、意外にも効果がないという結果も合わせて紹介してあります。
誹謗中傷の厳罰化
もう一つは、厳罰化です。
これについてはいわゆる誹謗中傷といった名誉毀損や脅迫罪などが適応されやすいネットに合わせた法整備を行うこと、もっと簡単に、安価に、スピーディに民事裁判を起こせるようになるようにすること、そして今以上の厳罰化を、といった流れです。
これまでも悲惨な出来事があるたびに厳罰化は進んでいます。飲酒運転についてはこういった取り組みにも効果があったようにも思えますし、これも一つの手でしょう。
ただこちらについては表現の自由のこともあるので、あまりにも厳しくするのであればこういった憲法上のすり合わせも必要なところも出てくるかもしれません。やるならば少しずつでしょうね。
システム上での言論統制
TwitterやFacebookなど大手SNSは、こういったネット上の社会問題について同じく頭を悩ませています。
Twitterは先日クソリプ防止機能を発表し、もうすでに一部で実装されています。
これは、特定の条件を満たしていなければリプが送れない仕組みです。これならばたしかに一つの投稿に対して多くのリプが付き不毛な議論が行われることは防げますが、リプを送る事自体は返信じゃない形では可能ですので、抜本的な解決には至らないかもしれません。
また、例えば芸能人のツイッターでこのクソリプ防止機能をつけられてしまうと、なんか拒絶感というか、寂しい感じがしちゃうかもしれませんよね。使う方も難しいのではないかとも。
一番期待したいのは、AIが発達して誹謗中傷をしている発言やクソリプがそもそもできないようにする機能です。マシュマロなんてまさにこれです。
これもまた言論の自由とのバッティングと、やってる事自体はネットの検閲ということで、そのあたりでまた議論が起こりそうですけどね。
2ちゃんねるとSNSの違い
以前は2ちゃんねるなんかまさにこういった誹謗中傷の温床でした。しかし近年はそれがSNSへ移った印象があります。
2ちゃんねるとSNSの違いは、その誹謗中傷のやり取りを直接相手の見えるところでやるかどうかです。そういった意味でも、現代の誹謗中傷はたちが悪いわけです。
芸能人も人間だ、というコメントが多く出ていますが、それでもまだこういった煽り耐性は強い方だと思います。今はこの矛先が一般人にまで及ぶようになっているということで、SNS、とりわけTwitterというのはユーザーの民度が試されるツールなのです。
批判と誹謗中傷の違い
あまりにも法的に、システム的に厳しくしてしまうと、言論統制となります。
中国なんてまさにそうで、かなり厳しくインターネットの管理を行っています。
また、誹謗中傷の定義というのもここから先は絡んできそうですね。
これは誹謗中傷ではなく、注意しているだけだ、教えてあげているだけだ、という人もいるでしょう。
政治がらみでは、これは政策批判であって誹謗中傷ではない、とみなさん言うでしょう。
これは言い方の問題なのか、言う内容の問題なのか。受け取り側の気持ちの問題なのか。
たしかに批判と誹謗中傷は違います。でも受け取った人が勝手に批判を誹謗中傷だと思ってるだけだ、とするのであれば、これはいじめられた人がそう思ってるだけ、というのと同じです。
実はこれ、けっこう難しい線引きなんです。安倍首相に対しても3月からかなりみなさん厳しい論調で発言されていますが、自分の線引きではあれの大半は批判ではなく誹謗中傷であると思っています。というより、批判と誹謗中傷は明確に違うものでありながらも、結びつきやすい性質があります。最初の一手は批判だったとしても、別の人が加える次の一手は誹謗中傷だったりすることもありますしね。岡村さんの件もまさにこれです。
ただこの批判についても、個人的には思うところがあるのです。
批判をしていい者は、批判をされる覚悟のある人だけです。どこの誰だかわからない人は、Twitterという公の場でなにかを批判するには、その舞台にすら上がってないのです。江戸時代の目安箱だって住所氏名を明記が義務付けられています。
SNSという公の場でなにか物事を批判するのであれば、その人の所属や名前、顔写真を明らかにして初めて成立するものと思っています。というところで、自分の意見としてはやはりネット実名制に近いところもありますが、ネット利用者をすべて実名化するのではなく、批判したい人は実名化しなきゃいけないというルール、システムを設けることで、無意味な批判はなくなるでしょう。
しかし今度は、じゃあ批判とはなんぞや、これは批判じゃなくて感想だ!となるわけです。こうなっていくと、ルール作りであったりシステム上の問題だけではどうにもならないところもありますね。
一番の解決策
一番の解決策は、ユーザーの民度、精神性が上がること意外にありません。
今回のコロナをきっかけに、人間はなにも成長してないなという側面もちらほら見えています。しかし、ここ2000年の歴史を見るからには、やはり人間というのはある程度進化しているようにも思えます。
1000年後のTwitterは不毛な誹謗中傷がなくなっていることを願いたいですね。